初代 曽和鼓堂
代々、味噌醤油製造及び問屋を家業とする家に産まれる。 16歳で幸流小鼓の名手・粕谷彦三郎師に就き、家業の傍熱心に稽古を積み、明治30年27歳の時、粕谷氏より芸事を引き継ぐ事となる。その後、関西軌道の取締役に就く事になり活躍をとげた。 鼓堂は、茶道や、書道、骨董などさまざま文化にも興味をもち、特に愛した和歌の世界では、臨終直前、孫の博朗にこのような歌をしたためた。 「博朗の鼓を聞きて」 打ちわけし鼓の音も萬代に まじりて高し名こそ立たなん 鼓堂
曽和脩吉
鼓堂の長男として産まれる。 16歳で、東京に上京し宗家のご指導を元に当時の能楽会に起居し、21歳の春、京都に戻り父・鼓堂と共に関西の能楽会で活躍した。 脩吉は、芸術鑑賞や当時ではまだ珍しい乗り物に乗る事を大変に好んだ。